本小松石 水磨 デザイン 白河石 芦野石 宇都宮市
栃木県出身の日本画家 米陀寛先生が自ら設計されたお墓です。当社の先々代とも親交があり、お墓のスケッチを何度も描き起こされていたことを思い出します。本小松石はあえて光沢を出さず水磨き。外柵は白河石芦野石
なぜ、これほどまでに著名人から小松石は選ばれるのでしょうか?
それは小松石が、さまざまな表情(色味・シマ模様・流れ)を持った石であるということです。同じ人間が存在しないように、小松石も同じ石が存在しないのです。そしてそれらが年月を経てさらに深い味わいに変化して行きます。
著名人から愛される理由はそこにあるのではないでしょうか。
そしてもう一つ言えば「石屋(関東)が自分のお墓は小松石でつくる」という事です。もちろんすべての石屋がそうする訳ではありませんが、私の知る限りでは小松石でお墓を建てる石屋は非常に多いです。プロ中のプロが選ぶ小松石を是非、堪能してください。
名前 | 職業・他 | 所在地 |
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芥川龍之介 | 作家 | 慈眼寺 (豊島区) |
安藤広重 | 浮世絵師 | 東岳寺 (足立区) |
泉鏡花 | 作家 | 雑司が谷霊園 |
市川団十郎 | 歌舞伎俳優 | 青山霊園 |
伊能忠敬 | 天文学・測量学者 | 源空寺 (台東区) |
内田魯庵 | 小説家 | 多磨霊園 |
江戸家猫八 | 落語家 | 雑司が谷霊園 |
榎本武揚 | 政治家 | 吉祥寺 (文京区) |
お岩 | 妙行寺 (豊島区) | |
岡倉天心 | 美術・行政家 | 染井霊園 |
岡本かの子 | 作家 | 多磨霊園 |
荻野吟子 | 女医 | 雑司が谷霊園 |
尾崎紅葉 | 作家 | 青山霊園 |
春日局 | 家光乳母 | 麟祥院 (文京区) |
片岡市蔵 | 歌舞伎俳優 | 池上本門寺 |
葛飾北斎 | 浮世絵師 | 誓教寺 (台東区) |
勝新太郎 | 俳優 | 蓮乗寺 (港区) |
金田一京助 | 文学者 | 雑司が谷霊園 |
小泉八雲 | 作家 | 雑司が谷霊園 |
幸田露伴 | 作家 | 池上本門寺 |
古今亭志ん生 | 落語家 | 還国寺 (文京区) |
近藤勇 | 新撰組局長 | 龍源寺 (三鷹市) |
佐藤栄作 | 首相 | 和田堀廟所 |
三遊亭園朝 | 落語家 | 全生庵 (台東区) |
志賀直哉 | 作家 | 青山霊園 |
渋沢栄一 | 実業家 | 谷中霊園 |
昭和天皇 | 皇室 | 八王子市 |
大正天皇 | 皇室 | 八王子市 |
太宰治 | 作家 | 禅林寺 (三鷹市) |
千葉周作 | 剣士 | 本妙寺 (豊島区) |
手塚治虫 | 漫画家 | 総禅寺 (豊島区) |
遠山金四郎 | 南町奉行 | 本妙寺 (豊島区) |
徳川家康 | 征夷大将軍 | 久能山東照宮 |
徳川信康 | 家康嫡男・松平家七代当主 | 西念寺 (新宿区) |
徳川慶喜 | 徳川将軍 | 谷中墓地 |
永井荷風 | 作家 | 雑司が谷霊園 |
中浜(ジョン)万次郎 | 文学者 | 雑司が谷霊園 |
二宮尊徳 | 農政家 | 今市市 |
服部半蔵 | 徳川家家臣 | 西念寺 (新宿区) |
林家三平 | 落語家 | 常福寺 (足立区) |
樋口一葉 | 作家 | 和田堀廟所 |
福沢諭吉 | 啓蒙思想家・慶応義塾創立者 | 善福寺 (港区) |
北条実朝 | 北條一族 | 鎌倉市 |
北条時頼 | 北條一族 | 鎌倉市 |
北条政子 | 北條一族 | 鎌倉市 |
水野忠邦 | 老中 | 水海道市 |
美空ひばり | 歌手 | 日野公園墓地 |
源頼朝 | 征夷大将軍 | 鎌倉市 |
森鴎外 | 作家 | 禅林寺 (三鷹市) |
安田善次郎 | 実業家 | 護国寺 (文京区) |
山岡鐡舟 | 剣客・政治家 | 全生庵 (台東区) |
山本五十六 | 海軍大将 | 長岡市 |
横山大観 | 画家 | 谷中霊園 |
力道山 | プロレスラー | 池上本門寺 |
約40万年前から始まった箱根古期外輪山の活動末期、今から15万年前に誕生しました。
小松石の名称は現在の真鶴駅の山側にある、小松原と呼ばれたところから、砕石されていたことからつけられました。
小松石が岐阜県養老郡時村の竜淵寺の墓石に用いられました。(科学的調査の確証が得られています)
土屋格衛が岩村(現在の真鶴町)において、石材業を創業しました。(真鶴町にある、石工先祖碑の碑文より)
源頼朝が幕府を創始した際に鎌倉に大石を輸送しました。そして鎌倉の都市づくりや、寺院の建造、墓石などに用いられました。
後北条氏の支配のもと、小田原城の築城、社寺等建設が盛んとなりました。
豊臣秀吉が石垣山城(一夜城)を完成しました。小田原の石屋善衛門が徳川家康により、石工棟梁を命ぜられました。
徳川家康の江戸城入城後、改修工事が始まり、大量の石材を供出し、石材業が飛躍的に発展しました。
その後も幕府の命による、石材提供のため、紀州・尾張・水戸の御三家及び、松平家、黒田家などの大名が現在の真鶴町の各所に丁場(砕石場)を開き、石材を切り出し、江戸に送りました。
寛永寺文恭院(11代将軍家斉)の宝塔用材が切り出されました。
増上寺慎徳院(12代将軍家慶)の宝塔用材が切り出されました。
ペリーの浦賀来航によって、徳川幕府300年の安眠がにわかに崩され、あわてた幕府は、沿岸防衛のため、台場の築造を命じ品川台場の用石が切り出されました。
増上寺昭徳院(14代将軍家茂)の宝塔用材が切り出されました。
東京大学工科本館建設に小松石が用いられました。
宮内庁図書寮、早稲田大学記念講堂の建設用材が切り出されました。
八重洲ビル建設の用材が切り出されました。
昭和天皇武蔵野御陵玉垣用材を切り出しました。
鎌倉鶴岡八幡宮大石段修復工事用材を切り出しました。
長野善光寺石畳改修工事用材を切り出しました。
小田原城改修工事用材を切り出しました。
新橋駅舎復元工事用材を切り出しました。
皇居改修工事用材を切り出しました。
栃木県出身の日本画家 米陀寛先生が自ら設計されたお墓です。当社の先々代とも親交があり、お墓のスケッチを何度も描き起こされていたことを思い出します。本小松石はあえて光沢を出さず水磨き。外柵は白河石芦野石
お石塔を残しての建直しとなりました。お墓の後方に大木が有り、墓域まで根が張っていましたが、無事撤去することができ、基礎もしっかり仕上がり、無事建直しのお手伝いをすることができました。
神道らしいお墓を第一に考え、お墓本来の姿である”素朴”で”力強く””気品のある”デザインを心掛けました。当家の方々より「末永く大切にしてゆきます」とのお言葉も頂き、大変光栄に思います。
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